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2. ミサ・グローリア@

[前回のあらすじ]
1858年、代々教会音楽家であるプッチーニ家に生まれた彼は、その跡を継ぎべくして育った。しかし、18歳の時にオペラ『アイーダ』に出合ったことをきっかけに、オペラ作曲家を目指すようになる。生涯で数々のオペラを残し、ヴェルディ以後イタリア最大の歌劇作曲家と称される。1924年没。

 

聖パウロに捧げられた曲
プッチーニは16歳の頃から作曲を始め、主に教会音楽を作曲していた。ルッカのパチーニ音楽院にて作曲を学び、22歳で卒業する時(1880年)に書かれたのがこの曲である(クレドCredoは1878年の作曲)。当初は「独唱、四声部の合唱と管弦楽によるミサ曲」という名だった。初演はルッカにて、卒業した年である1880年7月12日、サン・パウリーノ(聖パウロ)の祝日に行われた。この曲は聖パウロに捧げられた曲であったと言える。

 

プッチーニの転換期の曲
初演直後、プッチーニはこの曲の出版・演奏を固く禁じることになる。同じ年、音楽の中心地であるミラノへ移り住み、ミラノ音楽院でオペラ作曲を本格的に学び始める彼にとって、オペラ以外の自作曲を封じたことは自然なのかもしれない。オペラ作曲家として大成するプッチーニの転換期を象徴する、「幻のミサ曲」と言えよう。

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