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1. ジャコモ・プッチーニ@


大聖堂オルガニストの家系
1858年12月22日、イタリアのルッカにプッチーニ家の末息子として生まれる。プッチーニ家はルッカの音楽界を一世紀に渡り統率してきた音楽一族であり、代々大聖堂オルガニストをつとめ、プッチーニはその5代目となるべくして育った。6歳の時に父親を亡くし、叔父と母親によって育てられる。10才から聖歌隊に加わり、14歳にして教会のオルガニストとなり、宗教音楽家としての道を歩もうとしていた。

 

『アイーダ』-18歳、オペラとの出会い-
1876年、18歳の時に転機が訪れる。ピサでヴェルディの『アイーダ』を観て感銘を受ける。そのオペラを観るためにルッカから徒歩で往復したエピソードは有名で、それ以後ヴェルディに心酔し、オペラ作家をめざすことになる。1880年にはミラノ音楽院に入学し、本格的に作曲を学ぶようになり、卒業の時に書いた「交響的奇想曲」が好評を博する。

 

イタリア最大の歌劇作曲家
卒業後、1924年11月29日、66歳で亡くなるまで、『マノン・レスコー』、『ラ・ボエーム』、『トスカ』、『蝶々夫人』など、十二曲のオペラを始めとして多くの傑作を残し、ヴェルディ以後イタリア最大の歌劇作曲家と称される。

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